歴史

◆チップの歴史

チップの習慣は欧州で生まれました。 昔、イギリスの床屋は外科医の役目も果たしていました。 床屋の前の青と赤と白のくるくる回るサインは”動脈・静脈・包帯”を意味します。 髪を切ったり、ひげを剃ったりだけでなく、 悪い血を抜き取る”血抜き”という事もやっていました。

この血抜きの為の料金が定まっておらず、客が出せるだけの料金を箱にいれることになっていました。 この箱の表に”To insure promptness"(迅速さを保証するために)と書かれており、 その各々の単語の頭文字をとって"TIP"(チップ)となった説があるみたいです。

フランス語やドイツ語のこのチップに当る言葉が「酒を飲むためのお金」という感じの意味で、 「これで酒でも飲んでくれ」とサービスに対する報酬として渡していたのがチップの習慣の始まりだという説もあるようです。

やがてこの習慣はどんどん広まり 居酒屋やレストラン、宿泊施設でもチップの箱を置くようになったことからチップの習慣が定着したようです。 というわけで、チップは欧州から始まったものが習慣化したものなのです。

床屋さんのチップは労働の対価としての位置づけであり、 パブや居酒屋のチップはより良いサービスを受けるためのものとして存在したようです。 そしてチップは決まった金額ではなく、お客の「気持ち」で決められるものであり、チップは当初上流階級の間での習慣であったようです。

そして昔からの習慣が継続され、現在でもチップ制度は残っているというわけなのです。

ところが そのチップの起源である欧州ではウェイターやウェイトレスたちがこのチップの収入だけに頼り 生活が不安定になるのはよくないということで 1943年にイギリスで最低賃金に関する規定が制定され、 1955年にフランスでサービスチャージの導入が決められました。

それが欧州全体に広まり、現在では「労働の対価」ではなく「サービスのお礼」としてのチップが残っているようなんです。

現在では従業員の給料をチップでまかなわれているということはないため、 欧州でのチップ制度は北米ほど厳密ではないようですし徐々になくしていこうという方向に流れているそうです。 お礼の気持ちとしてのチップは多少残っていますが義務的なチップは廃止に向かっています。

なので欧州のチップは他の国と違い%がはっきりとは決まっていないのです。 アメリカ、カナダでは 現在も「チップ=従業員の給料」という規定が残っています。

典型的なチップ大国はアメリカで、同国ではホテル等でチップを受け取れる職種の給与は予め低く抑えられているのが通例です。その理由は“チップ=収入(給与)”とみなしているからであり、チップを渡さないと不満に思われるかもしれません。

仕事と遊びのボーダーがはっきりと別れている日本に比べ、諸外国ではそのボーダーがあいまいな部分があります。

ですから、自分達ばかりが楽しい時間を過ごしているのでは仕事をしている人に悪いと考える部分も大きく、諸外国人が渡すチップはどうしても日本人を上回り、その結果さらに日本人は「ケチ」と思われてしまう傾向が強まってしまう部分があるのです。


チップの習慣

例えば、アメリカではタクシーの運転手などは、予想されるチップの総額を差し引いた金額しか月給をもらっていなのです。つまり、チップがもらえなければ、その運転手は人並みの収入を得ることができないのです。

また、海外のホテルなどではお客様から頂いたチップが全て自分のフトコロに入るのではなく、職場で全員の分を回収し、全額を総計した上で平等に分配するなどの方法を取っているところもあります。

こういうシステムを取っている国でチップを渡さないと、この上なく常識外れと思われるはずです。

日本的な考え方では、ある長時間に渡るサービスに対して、所定の金額さえ払えば、サービスを与える側の食事とか、お茶代などの諸経費は考えなくてもよいと思っている人も多いのですが、諸外国ではサービスが食事時間にまたがる場合は食事の面倒なども皆サービスを受ける側が面倒を見るのが常識とされている部分もあるのです。

しかし日本からするとレストランの従業員は雇用契約のものに働いてるはずなのに なぜきちんとした給料がもらえないのでしょうか。 チップの起源である欧州でも 徐々に変わって来ているのにどうして北米は変わらないのか?と思う方もいらっしゃると思います。

アメリカのある歴史経済学者の説なのですが。実は奴隷制度に関係する一面があるらしいのです。 実は奴隷制度があった時代にも チップ制度は存在していたようなのです。

主に綿花やサトウキビ農園などのプランテーションで働いていた奴隷たちですが、 実はプランテーションというのは1年中忙しいわけではないんです。 プランテーションにもよりますが、忙しくない時期もありました。 その時期にレストランの給仕として働きに出ていたということらしいのです。

もちろん賃金はきちんと出たそうなんですが、 その賃金のほとんどを奴隷の雇い主が取っていました。

この時代は奴隷の生活の面倒はすべて雇い主の責任のもとに行われてたわけですから奴隷の生活の費用を全部出すかわりに 奴隷が稼いできた賃金は雇い主のものという感覚が当たり前なのです。

奴隷は自分の生活費を稼ぐ必要がないので 賃金をもらわなくても困らない現状です。 それでもタダ働きではかわいそうと思った客が奴隷にチップを渡すようになったそうです。 この奴隷がもらうチップは労働の対価の意味合いがあります。現在の北米のチップの意味とほぼ同じです。

その名残りで 今でもレストランの従業員がもらうチップ=給料という習慣が根強く残っているのではないかと考えられています。